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5件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2001-05-23 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号

例えば、この徳川家斉四十人のめかけを持って、五十五人の子供がいた。これは事実かもしれません、ここは。しかし、ただ単にこの事実、もうめかけなんという言葉が今の子供にどうなのかということがありますけれども、ただそういう事実だけ書くということもありますが、もう一つは、これは白表紙本のときにこういうことがあるんですね。

石井郁子

1994-10-26 第131回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

そのときに、日本はびっくりして、家斉将軍のときにですか、近藤重蔵だとかあるいは例の有名な間宮林蔵、この人たちを派遣して、そして調査をしたんです。ですから、そのときは明治じゃなくて、二百年前です。そのときにもう択捉という表標を択捉島に立てているんですよ、幕府は。四島は日本人しかいなかったんです。樺太はロシア人日本人がいたんです。  

木宮和彦

1979-05-24 第87回国会 参議院 内閣委員会 第9号

徳川四代将軍家斉ですか、これは征夷大将軍に任命されたことを記念いたしましてそして元号を変えたと、こういうのであります。  そうすると、この元号問題というのは、元号を定めた初期の段階、ある程度意識をしながらいたのかもしれませんけれども、それほど強いものではなかった、なかったが、使ってみたところが、つまりそのときの権力者の治世を示すためにはまことに重宝である。

村田秀三

1957-08-01 第26回国会 参議院 商工委員会 閉会後第4号

それから同時に御承知の通り、最近百家斉放とか、それから百家争鳴とか申しましても、相当言論というものは押えられていたのでありますが、最近河南省あるいは江西省の一部におきまして、われわれの想像のできないような飢饉の状態などが発表をせられまして、従いまして日本側が求めておりました丙種並びに乙種類もの等は、そういう意味において非常に日本に輸入するということはむずかしくなった。

大竹平八郎

1954-03-04 第19回国会 衆議院 本会議 第15号

私は、この私のとつぴのごとく思えるであろうところの要求の理由を説明いたしまするかわりに、ここに先哲の残しましたる治国平天下、修身斉家、すなわちその意直うしてその身修まる、その身修まつてその家斉う、その家斉つてその国治まる、その国治まつて天下平らかなりとするところのこの言葉、この政治家倫理の規範を私みずからが心肝に銘じますとともに、吉田総理大臣以下各閣僚諸公につつしんで呈するものであります。

安藤覺

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