2001-05-23 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号
例えば、この徳川家斉、四十人のめかけを持って、五十五人の子供がいた。これは事実かもしれません、ここは。しかし、ただ単にこの事実、もうめかけなんという言葉が今の子供にどうなのかということがありますけれども、ただそういう事実だけ書くということもありますが、もう一つは、これは白表紙本のときにこういうことがあるんですね。
例えば、この徳川家斉、四十人のめかけを持って、五十五人の子供がいた。これは事実かもしれません、ここは。しかし、ただ単にこの事実、もうめかけなんという言葉が今の子供にどうなのかということがありますけれども、ただそういう事実だけ書くということもありますが、もう一つは、これは白表紙本のときにこういうことがあるんですね。
そのときに、日本はびっくりして、家斉将軍のときにですか、近藤重蔵だとかあるいは例の有名な間宮林蔵、この人たちを派遣して、そして調査をしたんです。ですから、そのときは明治じゃなくて、二百年前です。そのときにもう択捉という表標を択捉島に立てているんですよ、幕府は。四島は日本人しかいなかったんです。樺太はロシア人と日本人がいたんです。
徳川四代将軍、家斉ですか、これは征夷大将軍に任命されたことを記念いたしましてそして元号を変えたと、こういうのであります。 そうすると、この元号問題というのは、元号を定めた初期の段階、ある程度意識をしながらいたのかもしれませんけれども、それほど強いものではなかった、なかったが、使ってみたところが、つまりそのときの権力者の治世を示すためにはまことに重宝である。
むしろ――先ほど四代将軍家斉と言いましたか、家綱ですね。吉宗様のことは、公方様のことはわかっているけれども、天皇様のことはこれはとんとわからなかったというのが時の生活実態じゃないか、人々の心理状態ではないか、認識の状態ではないか、こう私は思うんですね。
それから同時に御承知の通り、最近百家斉放とか、それから百家争鳴とか申しましても、相当言論というものは押えられていたのでありますが、最近河南省あるいは江西省の一部におきまして、われわれの想像のできないような飢饉の状態などが発表をせられまして、従いまして日本側が求めておりました丙種並びに乙種類のもの等は、そういう意味において非常に日本に輸入するということはむずかしくなった。
私は、この私のとつぴのごとく思えるであろうところの要求の理由を説明いたしまするかわりに、ここに先哲の残しましたる治国平天下、修身斉家、すなわちその意直うしてその身修まる、その身修まつてその家斉う、その家斉つてその国治まる、その国治まつて天下平らかなりとするところのこの言葉、この政治家倫理の規範を私みずからが心肝に銘じますとともに、吉田総理大臣以下各閣僚諸公につつしんで呈するものであります。